いのちを伝えるという難しさ
ー札幌市立厚別通小学校が用いた『1秒の世界』

2010/09/30

「知識を身につけることは、子どもたちが生きていく上で大切なことです。ただ、それだけでなく、子どもの心に働きかける授業も必要です」
 札幌市立厚別通小学校の大野 睦仁(おおの・むつひと)先生は、子どもたちに命の尊さを伝えていきたいという思いのもと、「いのちの授業」を自身のライフワークとして取り組んでいます。

 家庭とも塾とも違う、学校は児童みんなの意見を交わせるところに特徴があり、この学校ならではの環境のなかで、命の重さ、尊さを伝えたいと大野先生は言います。とはいえ、今の時代、子どもたちが生活する上で、死を実感する機会はほとんどなく、命の尊さを伝えることは容易ではありません。

「できないからといって、やらないよりかは、まずはトライすることが大事」(大野先生、以下同)
 そこで、何年もの間、教材を工夫し思考錯誤のなか、いのちの授業を創りあげていきました。

 いのちの授業で用いられる教材は大野先生が選びアレンジします。妊婦体験ジャケットや、がん患者の体験談、ホスピス病棟の医師の講話などさまざま。そのなか、教材の一つとして、『1秒の世界』(山本 良一 責任編集、Think the Earth Project 編/ダイヤモンド社)が用いられています。
 大野先生が『1秒の世界』を手にとったのは2003年。ダイヤモンド社が全国の小・中・高等学校に寄贈した本を読み、授業のテキストにすることを決めたといいます。

 厚別通小学校での、『1秒の世界』の授業とはどのようなものでしょうか。
 大野先生は子どもたちに問いかけます。
「1秒間にできることってどんなことでしょうか」
「手をあげることです」
「あっ、ということができます」
 子どもたちが答えます。でも、5人の子どもが答えを述べ終えると、その次がなかなか思いつきません。1秒間にできることってそんなにないのかなぁ……。子どもたちが、そう感じたころ、テキスト『1秒の世界』が登場します。




1秒の世界
『1秒の世界 GLOBAL CHANGE in ONE SECOND』
山本良一(責任編集)、Think the Earth Project(編集)/ダイヤモンド社



〈1秒間に 心臓が1回脈を打ち、60mlの血液を体に送り出し・・・〉
〈ハツカネズミの心臓は1秒間に10回、ゾウは3秒に1回、クジラは9秒に1回脈を打つ。〉
 子どもたちから、驚きの声が上がります。1秒間にチーターが走る距離、マクドナルドに来店する客数など、身近な「1秒の世界」には、親しみと驚きがたくさん詰まっています。

 後半にさしかかったころ、授業は本題である「命」に触れていきます。
〈1秒間に0.3人、4秒に一人が飢えによって命を落とし・・・〉
 大野先生は餓死者の数字を出し、動物など、身近で親しみのある「1秒の世界」だけでなく、負の側面にも目を向けていきます。そして、子どもたちに問いかけます。

「今、この授業を始めて30分が経ちました。1800秒になります。この間にも世界で540人(0.3人×1800秒) もの人たちが飢えにより死んでいます。また、世界では8億人の命が飢餓にさらされ、そのうち3億人が子どもだといいます」

 にこやかだった子どもたちの表情が変わり、真剣なまなざしになります。従来の授業では概念的な話が多く、「1秒で何人」という具体的な数字で命を表したことがありません。「子どもたちは命に対して、新しい角度で思考を整理したのではないか」、と大野先生は授業の感触を語ります。

 1秒の世界で示された餓死は、日本からは遠いところで起きていることです。でも、飢餓に苦しんでいるのが同じ年代の子たちということで、授業を受けた子どもは自分ごととして考え、改めて命の大切さに気付いたのでしょう。

■命の尊さを伝えることが使命だと気づいたのは

 大野先生は、現在の学校に赴任する前は、三年間、養護学校に務めたことがあります。
「そこで生活する子どもたちは生きるのに精いっぱいだった」
 給食の時間になっても、一般の学校で出されるような給食を食べられる子どもはほとんどなく、食材をミキサーで液状にして流しこむ子が少なくありませんでした。なかには、口から食べることができずに、胃や十二指腸に穴をあけて、チューブで直接栄養を体に送り、命をつないでいる子もいました。

「自分は大学のとき、障害者支援のボランティア活動に参加していたので、養護学校に関する知識はありました。でも、実際にのどに穴をあけて呼吸している子、すぐにタンで息が詰まって吸引しなければならない子どもを初めて目にしました。ショックを受けたことに間違いはないですね」

 数日前まで、一緒に生活していた子が亡くなることもありました。養護学校での生活を通して、大野先生の心のなかには、健常者である子どもへ命について伝えていくことが、ともに暮らした養護学校の子どもたちへの恩返しではないかという考えが芽生えました。そして、一般の学校に異動になった後、「いのちの授業」に取り組むようになったのです。

 『1秒の世界』を用いる場面はさまざま。ときには、卒業前の最後の授業で利用することもあります。授業の最後に、子どもたちにメッセージを伝えます。

「世界の片隅で起きていることに想いを馳せてほしい。遠いところで起きていることは、目に見えないけれど、目に見えないことほど、大事である場合もあります。たとえば、相手の気持ちもそうです。目に見えないことを想像して、想いを馳せてほしい。おめでとう」
 これまで、大野先生は4回、6年生を受け持った年の3月に『1秒の世界』を用いて、子どもたちを送りだしました。

「『1秒の世界』は素晴らしい教材だと思います。いのちの授業や卒業前の授業のほか、環境学習としても用いたことがあります。さまざまな切り口で利用できますので、今後も、授業に活用していこうと思っています」

 次の授業では、どのような切り口で、子どもたちへメッセージを発するのか。大野先生のアイデアは尽きません。

(取材・文 江口 陽子)