「空から降る雨は、地面に落ちて、どこへ行く?」「蛇口から流れ出る水は、どこから来たの?」 水を取り巻く地域の活動や、切っても切れない暮らしと水の関係を、作文やイラストにして小・中・高等学校の皆さんから募集しました。作文コースでは、自分たちの住む町や地域で行われいる水に関する活動や、町と水の歴史などを調べて発見したことなどを自由に書いてもらいました。イラストコースでは、『みずものがたり』P.30の「地球ぐるぐる水の旅」からヒントを得た、自分なりの水のしずくたちの旅ものがたりを描いてもらいました。着眼点がユニークなもの、観察が非常に丁寧なもの、また芸術性が高く見ていて(読んでいて)楽しくなるものなど、たくさんの個性溢れた作品が集まりました。作文コース・イラストコースへご応募いただいた138作品の中から、一次審査で26作品を選ばせていただき、最終的に各コース3作品ずつを優秀賞として選ばせていただきました。 ご応募いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
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- 足立 直樹:サステナビリティ・プランナー
- 上田 壮一:Think the Earthプロジェクト、『みずものがたり』編集ディレクター
- 水谷 広:日本大学生物資源科学部教授
- 山本 良一:東京大学生産技術研究所教授
- ワタナベ ケンイチ:イラストレーター
[講評]
自宅のリフォームを題材に具体的な節水について考えたり、世界の水問題に目を向け、それに貢献するための募金方法についても具体的に考えるなど、目の付け所と発想が面白い。
(足立 直樹)
[講評]
非常に広い視野で水の価値・役割を論じています。また、節水を実行するため独自の提案をしている点も良いです。
(水谷 広)
[講評]
「湧き水が本来もっているおいしさ」に着目した点がユニーク。「おいしさ」という感覚で、その地域の(水を含む)環境の健康を推し量ることができていたのだ、という視点に至ったことに敬服する。
(上田 壮一)
[講評]
長く使われている湧き水の安心・安全について、新しい発見をして、それを伝えているところが良いです。
(水谷 広)
中植 匡哉、原野 勇馬、赤塚 涼太、山崎 直哉、酒本 璃子、才元 香緒梨、松尾 健人
(大阪府立能勢高等学校2・3年有志)
[講評]
取材を通じて、自分たちが暮らしている地域にあったダイオキシンやため池の護岸などの問題を発見・分析し、提言につなげている。生物多様性の問題も取り上げるなど、水が他の命や社会とかかわりをもっていることにも気付かせてくれるリポート。
(上田 壮一)
[講評]
地域の水問題を調べるに留まらず、具体的な提案を行っているところを評価します。
(足立 直樹)
[講評]
世界的な視点が感じられ、おもしろい作品。水を世界中で共有していることを改めて思い起こさせてくれます。
(足立 直樹)
[講評]
暮らしの様々な側面での水の役割が言葉を使わずに良く表現されています。
(水谷 広)
[講評]
とても丁寧に書かれている。キャラクター設定も自分なりに考えているのがよい。見て楽しい気分になる。わかりやすい。
(ワタナベ ケンイチ)
[講評]
水の役割を分類して、楽しく表現しています。イラストのレイアウトも安定していて心地良いです。
(水谷 広)
[講評]
『みずものがたり』に触発されて、独自の環境を描くという意味で優れた作品。キャラクター名をつけて親しみをつくったり、3つのしずくのたびを通じて様々な水循環が表現されていてgood。ちょっとした囲みの解説なども良いポイントになっている。
(上田 壮一)
[講評]
『みずものがたり』の本をヒントに+αのオリジナリティが作品の中に入っているのが面白い。自分なりの視点で物事を考えることができている。
(ワタナベ ケンイチ)
- 「目黒区と水」 山口 凱元 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- 「洪水が起こったら」 大地 里佳 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- 「私達を生かす水」 伊織 瞳 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- 「千川上水の歴史」 富澤 隆亮 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- 「隠れた水たち」 山本 妹佳 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- 「地球温暖化パンフレット」 戸羽 祐里奈 室蘭市立本室蘭小学校5年
- 中村 美樹 沖縄市立美東中学校1年
- 前里 理世 沖縄市立美東中学校1年
- 新垣 明日香 沖縄市立美東中学校1年
- 柴田 千菜 湯梨浜市立東郷中学校1年
- 林 香織子 湯梨浜市立東郷中学校3年
- 山本 貴広 湯梨浜市立東郷中学校2年
- 樽本 茉里 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- ゴールドスティン・ミミコ 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- 比下 千晴 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- 小笠 原真由 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- 坂村 智里 東京学芸大附属国際中等教育学校2年
- 高山 十令三 JAEドリカムスクール小学校3年
- 林 元輝 JAEドリカムスクール小学校6年
最近よく聞く「節水」とか「ムダ使いをやめよう」といった言葉はぼくにはあまりピンとこない。そこでぼくはなぜ「節水」をしなければならないのかを調べてみた。けど思っていたよりも答えは単純。それはただ「使える水がない」からだった。しかしぼくは「海には水がたくさんあるから塩をぬいて使えばいいじゃん。」と疑問に思った。しかしさらに調べるともっとおどろいた。それは、地球にはとてつもない量の水があるのに、人間が使える水はそのうちの0.0001%だけなのだ。さらに日本人が1日に使っている水の量はなんと平均4トンなのである。しかし4トンといってもピンとこないと思うだろうが実はそれは食べ物にかくれている。あるサイトから引用するが、牛丼(牛肉70グラム、白米120グラム)を作るのになんと2千リットルもの水が必要になる。なぜなら牛のエサになるとうもろこし1キログラムを作るのに2万リットルも必要になるからである。そのような見方で考えると我々はふだんどれだけの水を使っているのかというのがよくわかる。
ぼくは最近、あちこちで「節水」を見かけるようになった。それはぼくの住む家をリフォームしてからである。それはすべて水を使う物だ。1つ目はトイレである。リフォーム前のトイレだと流すと1分以上タンクにため続けられていて、沢山の水を使っていたが、リフォーム後のものだとちょっとの水だけで流せられて、「こんな所でも節水がされているのだな」と気付かされた。2つ目は蛇口である。この蛇口は全開にしても空気の小さなアワが一緒に出て水はたくさん出ているように見えるけど実はたいして水は出ていないということだ。ぼくは節水とは自分の使う水の量を減らすように気を付けるだけでなく、このような新しい節水用具を使うのもちゃんとした節水なんだと思った。
文頭には書かなかったが、どうやら今、世界中で水不足がさわがれている。今世界の人口は60億人であるが、これがあっという間に80億人、100億人と増えていく。そうするとその人口の半分が水不足に苦しむというらしい。そこで必要だと思うのがやはり水道を作るということだ。必要といってもアフリカなどの貧困地域にだけである。そしてその水道や井戸を作るのに必要なお金はよくお店のレジの横においてある基金箱で集めるのが一般的である。しかしぼくが考えたお金の集め方はこうだ。それはまず、家の大きさ、何人で住んでいるかということを参考にして1ヶ月の各家で使って良い水の量を定め、それをオーバーしたらその分基金をしなければならないという仕組みである。そうすればムダ使いをする人も減るだろうしムダ使いをしても水に困っている人々に役立てて一石二鳥だと思う。
このように節水とはシャワーの量を減らすというようなことだけでなく、何かのためになるような事であれば節水を心がける人も増えるのではないかと思う。
田代 良憲
(東京学芸大附属国際中等教育学校2年)
今日、私たちはやれこの水はあぶないらしい、この水は消毒くさくて飲みにくい、など私たちが普通に飲む水についてうるさくなってきました。けれど、私は今回、私の住む町の水ものがたりを探して、地元のある小さな湧き水に目をつけ、あらためてその湧き水について考えてみた時、思うことがありました。それは、本当の水の「おいしさ」とはいったいなんなのだろうと言う事です。
私が住む東京都中野区の新井薬師には、地元の幅広い年代に、小さい子どもからお年寄りまで、たくさんの人たちに愛され、親しまれているお寺があります。梅照院、通称「お薬師さん」です。そんなお薬師さんを平日のお昼や休日の朝に訪れると、珍しい光景に出会います。お寺と公園をつなぐ大悲殿という建物の前にある白龍権現水と言われている湧き水を、近所の人たちが大量に持参したペットボトルにいれて持ってかえっているのです。この白龍権現水という湧き水は、縦にのびた二匹の龍のオブジェの龍の口からチョロチョロと出ている水で、私も小さい頃から、お祭りや縁日でお薬師さんにくるたびに一口二口飲んでいくことが風習になっていました。まろやかで雑味が全くなくとても飲みやすい水なのですが、私はこの水を飲もうとするとき、少しためらってしまします。本当にこの水は飲んでも大丈夫な水なのだろうか、安全は保障されているのだろうか、と思ってしまうのです。近くのコンビニに行けばすぐに安全が完璧に保障されたおいしい水が手に入るのに、ただというだけでこの湧き水を自分から進んで飲もうとする理由があまり良く分からなかったのです。
そこで、ペットボトルに湧き水を入れている人たちのうちの一人に、なぜわざわざお薬師さんの水を持ってかえろうとするのか理由を聞いてみました。私はかえってきた返事に驚きました。その理由は、ただただお薬師さんの湧き水が「おいしいから。」だったのです。地元の人たちは、コンビニや自動販売機で売っている1本百いくらのミネラルウォーターよりも、この小さな湧き水に「おいしさ」を感じていたのです。そして私は思い出しました。私も小さい頃に、その水がいったい安全であるのかそうでないのかなど考えずに飲んだ時、たしかに私はその湧き水をおいしいと思って飲んでいました。
この湧き水はある日、このお寺の住職さんの夢に不動明王が出てきて、「お寺の湧き水を一般の人も汲めるようにしなさい。」とお告げがあったことで、一般の人にも水を開放するようになったといわれています。それがたとえ伝説だったとしても、今考えると、不動明王はお寺にあるおいしい水をお寺が独り占めにしないようにと思って、住職さんの夢に出てきたのではないでしょうか。また、そんな伝説が今もあせることなく残っているということも実は素敵だと思います。
私は今回、自分の住んでいる地域での水の取り組み、歴史を考える、という作文をかくにあたってあえて、大きいイベントなどをかかず、私の地元の小さい湧き水を選びました。なぜなら、私たちは、まわりに安全な水があることがあたり前になっていて、小さいことで文句を言ったり、本当の水の「おいしさ」を見失っているのではないかと思ったからです。私が選んだ小さな湧き水には安全が保障されていると分かるものはありません。しかしその水を汲みに来る人たちは、それをたしかめようともせずに飲みます。私はその人たちが本当の水の「おいしさ」を知っているのだと思いました。
滝山 侑莉花
(東京学芸大学附属国際中等教育学校2年)











